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2017年4月 2日 (日)

桜祭り

今日は母の誕生日だったのですが、桜祭りの日でもあったのです。

竹橋から歩いて国立近代美術館、工芸館が入場無料でした。
やはり日本画が見ごたえがあり楽しかったです。
そこからゆっくり歩いて国立劇場に。
国立劇場の桜は満開だと華やかなのですが、満開でなくても華やかでした。
桜祭りの間はロビーも解放されて2階の日本画も無料で見る事が出来るのです。
更に太神楽だいかぐらと読むも楽しむことが出来ました。
元々神事から大衆芸能に変化したそうです。
こういう芸を芸というのだ、みんな凄いって叫ぶのだ。
無料のほうじ茶を飲んで桜を楽しみました。
立ちツボ菫が沢山咲いていました。
ツボは庭の事で、春に庭に次々立ち上がるように咲く様からタチツボスミレというそうです。
山吹や雪柳が色を添えていました。
桜の枝先に手を触れぬようにと紙に書かれていたのですが、
外国人親子には読めないのか触れていました。
触れるくらいはいいと思うのです。
誰だって美しい桜を見たら愛おしさから触れたいに違いないから。
でも外国人親子のお母さんが子供と桜を背景に写真を撮るのに桜の枝先が邪魔だと押しのけるのを見てなんだかなーと思いました。
桜に対する思いが日本人と根本的に違うんだな。
綺麗な桜と一緒に撮りたいけど、邪魔な枝は押しのけたい、
こういう人たちなんだって驚きました。
そのように人も扱うんだろうな。
結局桜に触れないよう注意しないといけなくなってしまったのだな。
もし愛おしい桜に思いやりをもって接していたら桜に触れないように注意などされなかったのだろう。
外国人のそういう桜に対する扱いが触れてはいけないってルールになってしまったのだろう。
優しい気持ちを感じられたら桜に触れるのは問題なかったのではないだろうか?
そんな気がした。
最後に無料桜ツアーとやらに参加、と言ってもボランティアと思われるおじさんの案内で靖国を案内してもらったのでツアー…なのかな…
昔は靖国外苑で競馬をしていたそうです。
競馬と言っても賭け事ではなく、陸軍の馬で競争していたらしい。
上野の不忍の池でも競馬していたらしい。
靖国は英霊を祀ったことから始まったのではないそうです。
日本陸軍の創始者である大村益次郎(1824~1869年)が明治天皇に東京に招魂社を創建することを献策した。明治天皇は翌69年、現在の東京・北九段に「東京招魂社」を創建し、戊辰戦争の戦没者3,588柱を合祀(ごうし)した。
知らなんだー
九段下の九段は昔は標高差から急な坂だったらしく、
段々が多かったから付いたようです。
最後におじさんが洋風の灯篭の説明をしてツアーは終了しました。
昔は海だったから灯台の役割も果たしていたそうです。
残念ながら東御所には入れなかったのですが、一日楽しく過ごすことが出来ました。
母の誕生祝も兼ねてこの間気に入ったのそばやに入りました。
今回はせいろ、を頼みました。
ここのせいろ、更科ではなく、田舎の細い奴って感じです。
せっかくなので八重桜というそば焼酎も頼みました。
これは、これは香りのする水ですね。
そばって感じはしないけど、香りのよい水です。
水飲まされたのか?って思っている間に真っ赤に酔ってしまいました。
グラス1杯だけなんですけどね。
窓際のあれは何か質問したら、野菜の天ぷらの見本でした。
レンコンとマイタケが高く、マイタケは天然、春の間だけの蕗、タラ、コゴミ。
次回はそれ注文するって決めたし、決めた。
母は83になりました。
おめでとうな。

草藤 土手に咲いていた。
ミツマタ 日本貨幣に変身する。
満天星ツツジ?もしかして馬酔木?多分満天星躑躅
シャガ、クリスマスローズ、冬イチゴ、菜花、ニラ花、大根花、ボケ、山吹、雪柳、サンシュ、武蔵水木、シャクナゲ、タンポポ、タチツボスミレ、はくモクレン、シデコブシ、コブシ、なんとかウメ、枝垂れ、山、他いろいろな桜。
他にもカラスノエンドウやら、いろいろ見たけど、思い出せない。



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